「そこでしかできないこと」を少しずつ排除する。そのためにFAXを使うのをやめてみるのはどうか。ポストに投函された郵便物同様、受信したFAXを確認したり、FAXを送信するためだけに事務所に行く必要がなくなる。
FAXの素
FAXで送られてくる情報はあくまでも紙の上のシミにすぎない。それを加工したり集計できる状態にするためには、目視で文字を読み取ってキーボードを使って入力したり、イメージスキャナで読み取って、そこにあるシミを文字として再入力する必要がある。送る側も、FAX送信のために、もともとはパソコンで作った文書なのに、わざわざ紙に印刷して、FAXに読み込ませて送信していたりする。実に無駄な行程だ。
このコロナ禍においても、医療機関、保健所、厚労省による感染者情報のやりとりにFAXが使われていたという話がきこえてくる。送る側は入力したデータを紙に印刷してFAX送信、届いた側ではそれを見ながらパソコンに入力して集計していたらしい。しかもデータについての電話確認までしながらだったと。この話を笑える人は、この先を読まなくてもいい。
ぼくのような商売をしていても、こうした場面には、それなりに頻繁に遭遇する。たとえば、イベントの申込書がメールで届く。FAXで案内が届かないだけまだましだ。そもそもうちにはもうFAX機はない。メールにはPDFファイルが添付されていて、必要事項を記入してFAXかメールで返信しろと指示がある。必要事項は強引にパソコンで書き込めても、署名が必要な場合は、いったん紙に印刷して、ペンで署名して、スキャナで読み取ってまたPDFにする。
文書をPDFとしてファイルにすることで、紙を代替することができる。メールにも簡単に添付できる。でもPDFは電子の紙で、普通の使い方では紙のいいところも悪いところもそのままだ。FAXの素になっていることからもそれを痛感する。
紙を使わないFAXは古い当たり前
実は、FAXの送受信のために紙を使わない方法はたくさんある。世の中にはこうした需要がたくさんあるようで、まさに蛇の道は蛇と言わんばかりに、さまざまなサービスが提供されている。
特定の番号宛てのFAXを受信したら、それをメールに添付して指定したメールアドレス宛に転送するといったサービスを使えば、少なくとも受信したFAXを確認するためだけに事務所に赴く必要はなくなる。また、こうしたサービスでは、メールに文書を添付して送信すれば、指定した電話番号宛にFAX送信してくれたりもする。これらのいっさいをウェブサイトで完結できるサービスもある。紙を使わないというだけで、FAXであることにはちがいはないのだが、旧態依然としたFAXの送受信よりは、はるかにスマートだ。
でも、こうしたサービスを駆使して古い当たり前を踏襲するよりも、とにかく紙を使わない新しい当たり前をめざそう。PDFを印刷してFAXで送るくらいなら、PDFをメールで送ったほうがずっといい。