2020/09/01

テキスト、ボイス、そしてビデオ


 百聞は一見に如かずというなら、ビデオがもっとも効率的なメディアなはず。でも、本当にそうなんだろうか。

見ればわかるビデオ

 メディアはまず書物からスタートし、複製技術の発展に伴い雑誌や新聞が書物と共存するようになった。印刷技術は今日の出来事を翌朝に読めるようにもした。そのうちラジオが出てきてテキストを読まなくても聴くだけでよくなった。さらに、テクノロジーの進化はテレビのように映像での情報配信を可能にした。
 ウェブも似たようなものだ。最初は文字だけの無愛想なサイトばかりだったが、そのうち音声や写真が配信されるようになり、今では、YouTubeなどの動画配信が高い支持を得ている。
 インターネットで配信されているビデオコンテンツの多くはオンデマンドで、好きなときにクリックするだけで参照できるのが、かつての放送メディアとの大きな違いだ。テレビやラジオは基本的に番組編成にしたがい、決まった時間に決まったコンテンツが放送されている。そのコンテンツを楽しむには、その時間にテレビやラジオのスイッチを入れる必要がある。受け手側で録音や録画ができるようになってからは、その制約も緩和されたが、見る気も聴く気もなかったはずのコンテンツがあとで欲しくなるというニーズには応えられない。

時間を制約するビデオ

 ビデオ配信は、その制約のなさがいいのに、こともあろうにリアルタイムでしか見られず、一度きりの配信が終わったらもう見られないライブ配信動画などもみかける。どうやら不便を楽しむのが新しい当たり前らしい…。
 興味深いのは、ビデオのメディアから音を取り去っても、テロップなどで「読む映像」として機能するようになってきている点だ。
 ボイスにしてもビデオにしても、そのコンテンツには時間軸があって、送り手側は受け手の時間を制約する。テキストにはなかった特徴だ。
 文字情報であるテキストは、情報消費の時間をいくらでも短縮することができる。1万文字のテキストを読み進めるときに、30分間かけようが、5分間ですませようが、読む側のスキル次第で伝わる情報の量は同じである可能性がある。
 ビデオのテロップは、時間軸を曖昧にする魔法の杖なのかもしれない。テロップさえしっかりついていれば、30分の番組を5分で見たって内容はほぼ理解できるからだ。

テキストメディアが今も残る理由

 百聞は一見に如かずというのが真なら、テキストはどうしたってビデオにかなわないはずだ。組織の中でやりとりされる文書についても、ビデオに代替されてもいいはずだ。数ページの企画書を読むより、1分のビデオクリップを見る方が、企画の内容がよく伝わってくるかもしれない。検索性についてもそのうちAIがビデオクリップの要約を短いテキストにまとめ、テロップさえ自動挿入するようになるだろう。実際、コンピューターによるクローズドキャプションなどを見ていると実用化はそんなに遠い話ではない。
 なんらかのメッセージを込めた文章よりも、それをスピーチにした方が感情もこもる、さらには顔を出して身振り手振りを交えたほうがもっと伝わる。なんだか、コロナ禍で一気に需要が高まったリアルタイムのオンライン会議みたいだ。
 コミュニケーションにとって、顔を合わせることは大事だが、相手にも自分にも時間は1日24時間しかない。それをどう効率的に使うか。だからこそ、文字だけのコミュニケーションが今なお残り続けているのだろう。