2020/09/11

ニューノーマルなコンピューターの使い方


 パソコンを持ち歩いて、いつでもどこでも使うのが古い当たり前。新しい当たり前ではいつでもどこにでも自分のパソコンがある。パソコンが自分を待っている。

|| コンピュータを使うためにコンピューターのところに行く当たり前

 コンピューターが登場したときには、キンキンに冷やした部屋に鎮座した巨大な機械を、それがある建物まで人間がおもむいて計算していただくというのが当たり前だった(らしい)。
 そのうちパーソナルコンピューターが登場したけれど、最初のうちはマニアのおもちゃだった。いわゆるマイコン時代だ。でも、日常的に誰もがコンピューターを使うのが絶対に新しい当たり前になると信じた人たちが、その浸透に取り組んだ。
 その結果、ビジネスに使われる機器として受け入れられるようになったパソコンだが、黎明期のうちはかなり高価な買い物で、会社全体で一台というのがせいいっぱいだった。パソコンを使うために、特別なデスクのところまで行き、順番待ちをして使った。これじゃ大型コンピューター時代と変わらない。
 ワープロアプリを使って考えながら文書を作るなんていうのが許されるはずもなく、手書きで作った下書きを、清書するために使われるのが当時の当たり前だった。いわばOA時代の幕開けだ。

|| あらゆる場所にコンピューターという当たり前

 そして今、パソコンはがんばれば個人が普通に購入できる価格になり、ひょっとしたら複数台のパソコンを同時並行的に使うのも馬鹿げた話ではなくなりつつある。スマホとパソコンの同時多発的活用というのも、その当たり前を裏付けする使い方だ。
 複数台のパソコンがあると便利という話を書いたが、いつでもどこでもパソコンを使えるようにするためには2つの方法がある。
 ひとつは、いつでもどこでもパソコンを持ち歩くことだ。これはすでにパイオニアたちが実践している。冒頭の写真は2016年当時、ベルギー・ブリュッセル空港の免税店での光景だ。こういう人類が出てきて嬉しく思ったのを覚えている。
 そしてもうひとつの方法は、いつでもどこでも使えるように、自分が行く可能性のあるすべての場所にパソコンを置いておくことだ。そうすればパソコンを持ち歩く必要はない。たとえ家の中だとしても、寝室、リビング、書斎などがある。もしかしたら風呂やトイレも。誰もがそれぞれである程度の時間を過ごすだろう。それらの部屋を往来するときに、わざわざパソコンを持ち運ぶのはめんどうだ。ならば、全部の部屋にパソコンやスマホ、タブレットを置いておけばいい。誰が使っても自分のコンピューターとして使えるように、マルチユーザー設定しておくのを怠ってはならない。家族といえどもプライバシーは尊重しよう。
 クラウドへの依存度が高まれば、パソコン本体の処理能力は抑制することもできる。全部がモンスター並みの処理能力を持つ高額な機器である必要はない。その結果、薄くて軽くて存在感が希薄で邪魔にならないコンピューターが家の中のあちこちに点在するようになる。そんなコンピューターの使い方が、これからの新しい当たり前になるのではないだろうか。肌身離さずコンピューターを持ち歩くのは古い当たり前になろうとしている。