2020/10/02

パソコンを自動機械と考えない方がいい


 パソコンは世の中のあらゆる作業を引き受け、自動的にそれをこなしてくれる機械ではない。最初にそこを勘違いすると期待が大きくなりすぎてしまう。


コンピューターに教えるのは人間

 人間に考えられないことは、パソコンにも考えられない。その代わり、人間よりも極端に高速に作業をこなす。人間がやっていたら途方もなく時間がかかる作業をパソコンに任せれば、アッという間に終わるにすぎないのだ。

 暗くなったら灯りをつけるという作業をコンピューターに任せるとしよう。暗いというのはどのくらいの照度なのかをあらかじめ決めておき、センサーを使って照度を測定し続け、その決めておいた値との比較を繰り返し、それを下回ったら電灯に電力を供給するためのスイッチをオンにする。人間から見ると、暗くなったら自動的に灯りがついたように見える。でも、決して自動じゃない。あらかじめ決めておいたことをやったにすぎない。

 今、トレンドのAIだってそうだ。AIが導き出す結論は、その導き出し方を人間が考えた上でコンピューターにそれを教えておくことで決まる。コンピューターは、どんなにそれがめんどうくさかろうが、忠実にこなすだけだ。まあ、それだけでも、人間の負担が軽減するのだからすごいことではある。

 

コンピューターをねぎらう

 ぼくら人間がコンピューターのためにできることは、コンピューターが作業しやすいようにお膳立てを整えることだ。たとえば、文字や数値を手書きするのではなく、キーボードなどからダイレクトに入力することで、最初からデジタル情報としてコンピューターにデータを与えるのはそのひとつだ。

 今は、OCRもあって、手書きの紙情報をデジタル情報に変換する技術も実用化されているが、正確さという点ではまだまだだ。だったら最初からデジタルで入力したほうがいい。だからパソコンで入力するのだ。

 非定型の情報を、シート上の行と列に割り当てて定型化したりもする。非定型情報のままでもコンピューターは処理できるかもしれないが、定型化しておいたほうが間違いがない。曖昧じゃろくなことがない。そして、人間にとってもあとでの再利用がしやすくなる。

 コロナ禍が過ぎ去れば、ソーシャルディスタンシングの確保はもちろん、外出自粛もなくなるのであれば、デジタルトランスフォーメーションは無理に推進しなくていいんじゃないかという考え方もある。でも、コンピューターにできることはコンピューターに任せることで、人間には他のことをする余裕が生まれる。そうでなくても、最終的にコンピューターがいろいろな仕事を引き受けるのは自明だ。

 これを書いている10月1日現在、東証のコンピュータートラブルによる売買停止が話題になっているが、1999年の春に証券取引所での売買取引がコンピューター処理に移行して売買立ち会いがなくなったあと、場立ちだった人たちはどうしたのか。コンピューターが仕事を引き受けたことで、人間にしかできない新しい仕事が生まれたはずで、決して仕事を奪われたわけではないはずだ。

 フリーハンドではまっすぐな線がひけないから定規を使う。そんな感覚で、気軽にコンピューターとつきあえるようになろう。頼もしい相棒としてパソコンを使おう。デジタルトランスフォーメーションはそこから始まる。