誰も過程を見ていない
結論を先にいえば、どっちでもいいと思う。
装飾と同時進行では、体裁に気をとられて文章が先に進まないとか、あとで装飾するのでは、できあがった感がなくてノリが悪くなるとか、いろいろな考え方があると思う。それは自分がもっともいいと思う方法で書けばいいのであって、その過程がどうであれ、最終的にできあがるものを見たときに、どういう順序で完成されたものかはわからない。過程の痕跡を隠蔽できるのがデジタルだ。少なくとも、更新履歴などを見ない限りはわからない。結果として、最終の読み手が読みやすければそれでいい。誰もそこに至った過程など気にしないし、わからない。だから好きにすればいい。
推敲は必要
個人的には、とにかく書き進める。途中でいいフレーズが浮かばないといったこともあるが、適当に表現しておいて、とにかく先を書く。「てにをは」がおかしかったり、時制が変だったりしても、それを気にせずとにかく書く。
そして、最後まで書いたら、最初から読み直し、おかしなところ、表現が適切でないところを直していく。その作業を何度か繰り返して完成だ。見出しなどは、何度目かの推敲のときに挿入することが多い。見出しを先に書いて文書全体の構成項目代わりにし、それに本文を追加していくというのもひとつの方法だ。
とにかく原稿用紙やレポート用紙に手書きしているのではないのだから、間違うことを怖れなくてもいい。
TwitterやFacebookなどの投稿や、ニュースのコメント欄などを読んでいると、明らかに読み直していないなと思う文章に遭遇することがある。誤字脱字、変換ミスなどを含め、これは自省の意味もこめてだが、やっぱり読み直しは大事だ。ウェブサービスで提供されているテキストボックスでの修正がめんどうだと感じるなら、使い慣れたワープロやエディターなどを使って書き、その文字列をコピーして貼り付けよう。その1秒の手間をかけるだけでミスは激減する。