この四半世紀に起こったこと
パソコンやスマホでこの記事を読んでいるくらいの方なら、そんな心配は他人事かもしれない。でも、身の回りを見渡せば、決してそうではないことがわかる。年齢的に50代、いや40代でもデジタルとは無縁の層が確実に存在する。
その人たちが、仮に、今、45歳だとすれば、1995年に成人していたことになる。当時はまだパソコンは一般的とはいえなかったかもしれないが、Windows 95がブームになったりしていたので、それなりの認知度はあったはずだ。なにより、世の中全体が、これからはパソコンの時代だというムードになっていた。そういう意味では今の雰囲気は、当時と似ているといえるのかもしれない。
その次は、メールの普及だ。1999年にドコモがiモードをサービスインし、その後5年くらいをかけてケータイメールの文化が浸透していった。ケータイメールの功績は、メールというコミュニケーション手段が、読むためにつなぐものではなく、向こうから勝手にやってくるものとして認知させることに成功したことだ。
これらと同時にインターネットが一般的なものになるという背景もあった。
つまり、2020年、今、現在のデジタル環境というのは、だいたい1995~2005年頃にその礎ができあがっていたといってもいい。その10年間にめくるめく変化があり、その後、15年ほどをかけて洗練されてきた。そして、今に至っているわけだ。ここまでで四半世紀だ。
みんなが使っていれば誰にでも聞ける
結局、その波にうまく乗れなかったのなら、それはそれで仕方がない。でも、これからの時代はそうもいってはいられない。おそらく、公共サービス的なものを含め、あらゆることがデジタルに向かい、デジタルと親しめなければ、本来受けることができるサービスを受けられないといったこともありうる。
もし、自分の友人などがデジタルにうとく、それでも開き直っているようなら、少し、危機感を持ってもらうように促してほしい。そして、身近な人が使っているのと同じ機器を手に入れて使ってみるように勧めてほしい。
誰かと同じであるというのは大事だ。詳しい人と同じならもっと安心だ。困ったときに助けてもらえる可能性があるからだ。何に使うか、使うかどうかわからなくても、いつでも自分だけが使えるパソコンくらいは、手元においておくようにアドバイスしてあげよう。もうガラケーにこだわるのはやめるように忠告してあげよう。詳しい人でもすでにガラケーの使い方は忘れてしまっているんじゃないだろうか。この先、きっと困る場面がいっぱいでてくる。
結果として自分がめんどうを見る羽目になるのはカンベンしてほしいと思うかもしれない。だからこそ、誰もが使っているポピュラーな機器を使ってもらうわけだ。自分以外の相談相手が身の回りにたくさんいるように仕向けることがポイントだ。