今なお君臨する四半世紀前の当たり前
パソコンが日常的に使われるようになって、すでに四半世紀以上が経過した。家庭にあっても誰も驚かない。アプリのツールバーに並ぶ保存ボタンにフロッピーディスクの図柄が使われているのを見て、それがフロッピーディスクだとすぐにピンとくる層も少なくなりつつあるようだ。
だとすれば、デスクトップやウィンドウ、ファイル、フォルダー、ディスクといった概念はどうなのか。これらも考え直す必要があるのかもしれない。
実際、すでに、スマートフォンではこれらの概念は希薄だ。ファイルやフォルダーを意識しないでもスマートフォンは十分に機能する。そもそも保存という考え方がほとんどなく、たいていの作業結果は勝手に保存されている。しかも保存先はクラウドで、ローカルはキャッシュに過ぎない。つぶやきを文字にして書き込めば、それはTwitterクラウドに勝手に保存されて公開されるといった具合だ。
普通とは違う何か
たとえば「書類は普通、紙に印刷されている」という考え方から解放されたら世の中はどうなるだろう。ウェブが20年以上かけてやっているチャレンジだが、まだまだ道半ばだ。
メタファが新しい体験の足を引っ張るということも考える必要がありそうだ。アプリでファイルを作ってメールに添付して送るというのが当たり前だと思っていると、それ以上の体験に進むのが難しくなる。アプリを作る側も、アプリを使う側も、古い当たり前に引っ張られて、新しい当たり前の世界観を想像しにくくなってしまうのだ。
じゃあ、その新しい当たり前の世界観とは何なのかはまだわからない。でも、それが得られない、あるいは得られるまでに永い時間がかかるのではソンをすることだけは確かだ。たまには、そんなことを考えて、パソコンを使ってみてほしい。何かが見えてくるかもしれない。それを発見して万民を納得させられれば億万長者になれるかもだ。