すべてのコトはラジカセに収束していた
1970年代、とにかくラジカセは必需品だった。いわゆるラジオ/カセットレコーダーで、深夜放送を聞くためのラジオ、そのラジオを録音するためのカセットテープレコーダーを装備し、アンプとスピーカーが一体化されたデバイスだ。これ1台あれば、夜から朝まで永遠の時間を過ごせた。
1980年代になってからはラジカセの世界観より、さらにパーソナルなウォーキングステレオの時代に移り、ライフスタイルが多様化したものの、ラジカセは廃れることはなく、後期にはCDラジカセやWカセットのような進化形も登場している。レコードを聴くにはステレオコンポが必要だったから、さすがにラジカセだけでは足りなかったのだが、たぶん別物と認識していたのだろう。
今の中高生にとってはスマホが当時のラジカセに相当するのだとは思う。その徹底的な違いは、ラジカセが一方通行、スマホが双方向のコミュニケーションである点だ。
ラジカセ時代の中高生には、好きなレコードを片っ端から買えるほどカネの余裕もなかったし、レンタルレコードショップもまだなかった。夜な夜なシャーシャーとした電波状態を克服しつつ東京の放送局に周波数を合わせ、パーソナリティの語りに耳を傾けた。そのまま寝てしまっても朝になれば電波状態が変わってほぼ無音になるのがちょうどよかった。自由な音楽ソースとなるのはラジオ一択だった。流れてくる曲に一喜一憂し、せっせとエアチェックに励んだものだ。
田舎の中高生にとって、深夜放送のパーソナリティと会話する唯一の方法は、ハガキによる投稿だった。のちに上京し、その深夜放送の放送作家をしていたころは、毎週届く大量のハガキにすべて目を通し、おもしろいメッセージをリライトしてパーソナリティに読んでもらうというのが主な仕事だった。かつて自分が送ったハガキも、こんなプロセスを経て読まれていたのかとなつかしんだりもした。
いずれにしても、ラジカセはとにかく若かった頃の自分にとっては、社会に開く貴重な窓だった。そのころはすでにアマチュア無線の世界にも片足をつっこんでいたが、それはそれで大人の世界を垣間見る楽しさを見出すことができていた。
テレビも見たい、本、雑誌も読みたい、マンガも読みたい。ともだちと無線や電話で話もしたい。放課後はたまり場に集まって麻雀もしていた。音楽も聴きたいし、深夜放送も聴きたい。ギターの練習もしなくちゃならない。写真も撮りたかった。もちろん勉強も少しはしないとたいへんだ。とにかく全部やっていた。今にして思えば、いったい、どこにそんなに時間があったのかと不思議に思う。
最高の相棒としてのスマホとパソコン
確かに今は、スマホが1台あれば、リアル以外の体験についてはすべてが完結するのだろう。当時のラジカセよりもずっとできることは多い。現時点では最高の相棒的存在だろう。それでも若い世代には、スマホだけに固執するのではなく、スマホとパソコンの両方を駆使して青春を謳歌してほしいと思う。社会に開く窓は大きい方がいいし、窓はたくさんあった方がいい。
とにかくスマホで今やっていることをパソコンでやってみるといい。どっちも似たようなことができるとは思うが、やることごとに向き不向きがあることがわかるはずだ。ぼくらの若い頃はラジカセしかなかったけれど、今は、スマホもパソコンもあるのだから、両方を使い分けることができるというのはラッキーだ。実際、ウォークマンの登場以降は、ラジカセと共存させていた。
いつのまにか、スマホとパソコンは同じくらいの価格帯の工業製品になってしまっているので、どっちがメインで、どっちがサブというような位置づけではすでに語れない。どうにもパソコンに親近感がわかないのなら、それはなぜかを考えてみよう。その答えが見つかったとき、すでにパソコンは最高の相棒になっているにちがいない。