紙の呪縛が進化させたWYSIWYG
WYSIWYGという言葉がある。What
You See is What You Get. の頭文字をとったもので、ウィジウィグと読む。見たままが得られるという意味だ。とにかくパソコンはこの境地をめざしてがんばってきた。
たいていの場合、その得られるものというのは、印刷された紙だった。その紙とまったく同じものを画面上に再現し、そこに文字や画像を入れていく。大きな文字は大きく表示され、小さな文字は小さく表示される。書体が明朝体ならその通りに、ゴシック体ならその通りに表示される。目の前で編集中に見ているものが、そのまま紙に印刷されるのだ。
進化のようでいて、これは一種の退化だ。せっかくいろんなことが自由になるコンピューターを使っているのに、実際には紙の呪縛をそのまま再現しているからだ。
作っているときに見ているものが手に入るのは自分だけ
今、パソコンで文書を作っても、それが読まれる環境は本当にさまざまだ。多くの文書は紙に印刷されることなく、画面上で読まれるだろう。そして、その画面のサイズや解像度はさまざまだ。環境ごとにフォントだって微妙に異なるかもしれない。パソコンの大画面外付けモニターで読まれることもあれば、モバイルノートパソコンの13型程度の画面で読まれることもある。あるいは、スマホの6型前後の画面かもしれない。
WYSIWYGのつもりでいても、「見たまま」を享受しているのは自分だけで、しかも、その「見たまま」は紙ではなく、それこそ、自分が見ている画面に表示されたそのものにすぎないのかもしれない。
得られるものが違うのが当たり前
ウェブサイトの制作に携わる人たちは、そのサイトが見られるデバイスごとに、どのような表示になるのかをしっかりと確認しながらコンテンツを作る。パソコンで見たらどうか、ブラウザが違うとどうなるか、OSが違っても大丈夫か。iPhoneならどうか、iPhoneといっても6.1型の無印iPhone、iPhone Proと5.4型のiPhone
miniでは異なる。iPhone Pro Maxは6.7型だから、さらに異なる。Androidスマホにいたっては、画面のサイズどころか、その縦横比もちがっていたりする。どの端末で表示されるときにも、つじつまがあうように、たいへんな苦労をしているわけだ。
「A4縦用紙」という決め打ちができればどんなにラクなことか。かつてWYSIWYGを目指したときよりも、ずっと難しい局面が立ちはだかっている。
だから、ぼくらは進化のために、いったん退化することを受け入れる必要がある。「What
You See is What No one Get」が新しい当たり前だからだ。