コンテンツと時間軸
100ページの小説を読むのにかかる時間は人によって異なるが、2時間の映画を見るのにかかる時間は誰でも2時間だ。もちろん倍速再生などで時間を短縮するようなこともできるが、それでは、かくかくしかじかというストーリーだというネタバレ情報を教えてもらうようなものだ。
でも、文字だけで表現された小説は、じっくり味わって読むにしても、人それぞれで読むスピードが違う。100ページの文庫本を1時間で読んでも、ストーリーはもちろん、作者特有の文体までをも楽しむことができる人はたくさんいる。
文字そのものが持つ情報量は実は少ない。だから読者は、その行間を想像力で補う必要がある。そのスキルが優れている人は、同じ文章を読んだとしてもより多くの情報をそこから読み取る。正確には想像できる。でも、それが本当に正しく、書き手の意図を反映したものであるかどうかはわからない。
音声と動画を比べた場合はどうか。音声は視覚に頼ることができないので、その音声の発生時の様子などは想像するしかない。もっとも、最大限の情報量を持つように感じる動画だって、たとえば料理を映し出していたとしても、その味や匂いについては伝わってこない。あくまでも、うまそうだ、まずそうだ、辛そうだ、甘そうだといったムードしか伝わらない。
加筆修正で生まれ変わる文字データ
データを再利用しようと考えたとき、やはりつぶしがきくのは文字データだ。音声や動画の切り貼りよりも、ずっとカンタンにできるし、10年前の文章を、現在の文章中にコピペしたってつじつまはあう。
まあ、技術の進化は著しいので、きっとそのうち動画や音声でも同じようなことができるようにはなるだろうけれど、その手軽さは、当面全然違う。とにかく一度自分が思いついたり書き込んだりしたデータは二度と同じものを入力しなくていいように後生大事に保存しておくべきだ。そして、それがもっともたやすいのが文字データだ。情報量が少ないゆえにつぶしがきく。その特徴を活かさない手はない。